Soravelのジャンクブログ

哲学科の大学生が素人発言します。

コーヒーと豚と白痴

はじめに断っておきますが、ここで倫理とか道徳、社会を良くしよう! とか言いたいわけじゃないです。ぼくは哲学科だけど、割と倫理とかどうでもいいと思ってる節がある。あと、「なにが言いたかったのか?」という現代文みたいな読み方をされると困る。結論はない。それでもいいという方は読んでくれると、少し嬉しい。

ぼくはコーヒーを毎日飲む。家でも飲むし、喫茶店でも飲む。コーヒーが好きだからだし、起きてからコーヒーを飲まないと、一日が始まらないと本気で思っている。美味しいと思うこともあれば、不味いと文句も言う。コーヒーはぼくのQOL(笑)を支えてくれている。

コーヒーはぼくをハッピーにするわけだけど、しかし一方で、飲むたびに頭によぎることがある。コーヒー豆の農家のことです。

コーヒー豆の生産は、ブラジルやらベトナム、コロンビア、インドネシアエチオピア、この五カ国で大体半分くらいです。そこで生産支えている農家のうち、今でも少なくない人がアホみたいな低賃金で働かされている(あえて「されている」という表現を使うね)。彼らは、靴も履けないし、水も食料も十分じゃない。教育も満足に受けれていないし、学校すらない地域もある。

現在コーヒー市場を支配している多国籍企業は、クラフトフーズ社、ネスレ社、P&G社、サラ・リー社。バイヤーたちは、NY市場の状況に応じて、コーヒー豆の値段を決める(生産者ではない!)。農家は、どれほど安い値段を言われても、売るしかない現状です(もちろんそういった事態をどうにかしようとする人々もいる)。

企業の代表たちは自分で作ったわけでもない低価格で買った高品質なコーヒー豆を誇り、農家はいつまでも無知で貧乏で、味のわからないアホなJKがスターバックスでフラペチーノを飲み、ぼくは飲み残した不味いコーヒーを台所に捨てる。

コーヒーだけではない、ぼくたちはそういったグロテスクな文脈の中で生きている。それは少し想像力を働かせればわかることです。グローバルな世の中では、それは無関係なことでは決してない。ぼくの手元にはコーヒーがある。

このような文脈は、コーヒーを通して線のように世界とぼくたちを繋げているのではありません。隠世が常世にピッタリとくっついているように、そこにある。そう思ったのは、ある映像を見たから。

最近、屠殺場の動画をいくつか見たのですが、その中に、死んだ豚をシュレッダーにかける動画があった。えらい音を立てて豚がバラバラになるわけだけど、四肢のある豚が、ほんの数秒のうちに、スーパーで並んでいる切り身になってしまった。ぼくたちは普段豚がどうやって殺されるか考えずに豚丼を食うわけだけど、普段考えない見たくもないグロテスクな文脈は、ほんの数秒という身近さでそこにある。(シュレッダーを使うのは、ほんの少しの人たちで、倫理的に問題があるとして、さらに少なくなっているみたい)

それを実感したぼくは、しばらくの間、コーヒーを飲むたびに農家の肌にたかるハエがそこにいるような感覚に陥った(次の日には平気で飲むわけだけど)。

で、最初にも言ったように、ぼくはなにも、このような現状を知って農家や動物に感謝しようとか、社会をよくしようとか、人間のかくあるべき倫理を言いたいわけではない。そんなことは、他の人がたくさん言っている。

ようは、選択や決断の問題だと思う。

コーヒー農家の現状を知ったとき、ぼくたちは選択しなければならないという切迫感に襲われる。もし、そうでないのなら、それは想像力がないか、まだよく知らないか、コーヒー農家のことをその辺の虫けらと同じように思ってるかのどれかじゃないか。

では、選択するとは、何を選択するのか。生き方じゃないかな。

現状を変えようと活動する、ボランティアに参加する、あるいは、搾取上等で農家を踏み潰して生きていく、全く知らないふりをする、など。

人がどういった選択をするべきか、などはここでは関心しない。ただ、選択をしない、選択をしたことに自覚がない、そんなことでいいのか。

全く論理的じゃないけど、ものごとを知るとは選択を迫られることだと思う。選択をすることは生きることだと思う。

でも、選択したくないから、一生無知でいるのもいいと思う。というか、ぼくはむしろ無知でいたい。

最後に、ぼくの好きなセリフを『虐殺器官』から引用して終わりです。読んでくれてありがとう。

「人々は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。文明は……良心は、もろく、壊れやすいものだ。文明は概してより他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだじゅうぶんじゃない。本気で、世界中の悲惨さをなくそうと決意するほどには」