「グッチぃ・マク・ぼ」の哲学ではない何か

哲学科の大学生が書きます。

日本人が嘘つきな理由 意外と面白い入試現代文2

 おはようございます。グッチぃです。今回は、『日本人と日本社会のゆくえ』(河合隼雄)からの文章です。

 

どうして日本人はウソつきなのか?

 今回は、日本人はどうしてウソつきなのか?がテーマです。「ウソ」といっても、相手を陥れるようなウソではありません。空気を読んで本当は思ってもないことを言ったりすることです。これは日本人の「場→個人」の考えから生まれる行動のようです。それに対し欧米では「個人→場」の考えがあるようです。

「すみません」といいたくなる

 日本人は(もちろん傾向として)「すみません」という言葉をよく使いたがります。英語であればどう考えても「サンキュー」と言うべき場で「すみません」と言いたがります。どうしてなのでしょうか?

 

 それは、日本人は人と人の関係において、全体の「場」を大切にするからです。二人の間でどちらが正しいか、正しくないかを決めてしまわないように、「すみません」という言葉は便利なのです。

 

 それに対して欧米では個人と個人の関係を重視します。そしてその考えから見ると、日本人の「すみません」は「ウソ」である言えることになります。もう少し詳しく論じてみましょう。

 

日本と欧米の「ウソ」の捉え方

 「場」を中心に考える日本人は、ある程度「ウソ」を言わねばならないことがあります。日本人は「ウソ」をある程度許容しています。

 

 それに対して欧米では「ウソ」=「悪」です。日本人のように「ウソ―www」などのように気軽に「liar!」なんて言うと物議をかもしかねません。

 

昔「ウソ」と「虚偽」は違うものだった

 昔は村々に評判のウソツキと呼ばれるような老人が一人はいて、人々を楽しませていたという話があります。この時代では、「ウソ」というのは面白いお話という意味合いで使われていたようです。

 

 ところが近代になって、欧米の影響を受け、「ウソ」と「虚偽」が一括されるようになり、同じ悪事として認識されるようになりました。

 

ウソに対するジョーク

 場を保つために日本では「ウソ」が用いられます。では欧米は場を気にしないで本当のことばかり言っているかというとそうではありません。欧米には「ウソ」に対して「ジョーク」があります。

 

 日本では「場」をまず考え、次に「個人」へ考えが至ります(「場→個人」)。それに対して欧米ではまず「個人」があり、その次に「場」を考えます(「個人→場」)。

 

 なので、日本人なら「場」を保つために「ウソ」を言ってもその言葉に(限度はあるが)責任はありませんが、欧米ならその「ウソ」にその人の責任が伴うので日本的な「ウソ」は言えないわけです。そこで欧米ではジョークが用いられます。

 

 相手から無理な要求をされたとき、日本人なら「難しいことですが、何とか考えてみましょう」などと言うかもしれません。しかし欧米的にはこれは「ウソ」であり、「ノー」と言うべきなのです。ここで欧米人は、相手の気持ちや自分はどうしてもやりたいんだけれどもできない、などの意味合いを含んだジョークを言うわけです。これができる人間は「社交的」と言われます。

 

日本人はどうするべきか

 「日本人はノーが言えない」なんてことがよく言われ、「ノー」がはっきり言える人間を育てるべきだなんて言われることがあります。しかし社交性のない「ノー」は単に人間関係をギクシャクさせるだけなのです。

 

 河合は無理して欧米に合わせるのではなくて、日本人の「場→個人」の考えを欧米人の相手に伝えるほうがいいと主張します。

 

おわりに

 日本的な「場→個人」の考えと欧米的な「個人→場」の分析の仕方はとても興味深いです。しかし主語が大きすぎたり、執筆されたのが結構まえなので、現代ではまた話が変わってくる可能性があります。